キティーちゃんと阿弥陀さま

キティーちゃんという白いネコのキャラクターをご存知でしょうか。1974年に日本で生まれたキャラクターで、赤いリボンがトレードマークです。本名は「キティー・ホワイト」といい、今では世界中で愛されていて国内外を問わず、ご当地キテーちゃんが大人気のようです。皆さんもきっとご覧になられたことがあるでしょう。
さて、キティーちゃんにはあまり知られていない話があります。それはキティーちゃんのお顔にまつわる話です。キティーちゃんのお顔を見てみると口がありません。例外的にアニメの中のキティーちゃんはおしゃべりすると口が動くシーンがあるそうですが、それ以外には口がついていないのです。そして、これには理由がありました。

ある日のことです。寺だよりの締め切りが迫っているのに内容が決まらず悶々としていた時、娘の持っているキティーちゃんのぬいぐるみと偶然目が合いました。すると、ぬいぐるみも私と一緒に悩んでいるように見えたのです。彼女はまるで私の気持ちをわかっているかのように切ない表情をしたのでした。
その時、以前聞いた話を思い出しました。キティーちゃんには口がついていないので、見る人の気持ちによってその表情が変わります。その人が嬉しい時は一緒に喜んでいるように、悲しい時は一緒に悲しんでいるように見えるのだそうです。だからキティーちゃんを見ていると自分の心が投影されて「自分一人じゃないんだ」という気持ちになってくるというのです。これが幅広い世代から人気を得ているポイントの一つだと聞いたことがありました。

私がさびしいときに、 よその人は 知らないの
私がさびしいときに、 お友だちは 笑ふの
私がさびしいときに、 お母さんは やさしいの
私がさびしいときに、 佛さまは さびしいの

これは金子みすゞさんの「さびしいとき」という詩です。何となくキティーちゃんの魅力と重なりませんか? キティーちゃんは私がさびしい気持ちで見つめると、さびしい表情をします。キティーちゃん以外にも人気のあるキャラクターはいますが、そのキャラクターたちは、きっと私が「さびしいとき」もニッコリ笑っていると思うのです。いつもニッコリと笑っているキャラクターは、とてもかわいらしいものですが、私が「さびしいとき」や「かなしいとき」も笑っています。キティーちゃんは、いつも私の気持ちをわかってくれるのです。

そして、みすゞさんの詩にあるように阿弥陀さまもいつも私の気持ちがおわかりになるから私のことを放っておけないのです。
世間には自分の調子がいい時だとニコニコしながら寄ってくる人がたくさんいます。でもうれしい時も悲しい時もさびしい時も、いつも同じ気持ちで寄り添ってくれる人は滅多にいません。しかも自分の人生を通していつでもどこでも一緒にいてくれる人は皆無です。親子・兄弟姉妹・おつれあいも難しいでしょう。
しかし阿弥陀さまはつまるところ独りぼっちになる私のいのちを見捨てられないから、私と共に痛み苦しみ泣き笑いしてくださるのです。そして、その苦悩から解き放ち、いのちの輝きを与えずにはおれないとはたらいてくださいます。

それだけではありません。私という人間はさびしい時つらい時には阿弥陀さまの存在を有難く思うのに、元気で楽しくなると阿弥陀さまのことなど忘れてしまいます。ですが、阿弥陀さまはそんな私の本性を見抜いておられます。調子がよかろうが悪かろうが、私の本性は欲得まみれです。その本性によって生み出されるさまざまな苦悩を抱えてしか生きていくことのできない私を見て、切なくて切なくて、あなたの力にならずにおれませんとはたらき続けておられるのでした。

キティーちゃんと阿弥陀さま。 全く共通点などないように見えますが、似ているところもありましたね。

新潟市 妙光寺住職 井上慶永師 【大乗7月号掲載】

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