乗り越えて生きる道

 時が過ぎゆくのは まことに早いもので、前住職がお浄土に参らせていただき もう2年半です。今月は書棚で見つけた前住職の法話を記載させていただきます。
 
 
 よく『この人生に生きるだけの意味や理由があるのか誰か教えてほしい』という言葉に接することがありますが、この発想は転換されるべきであります。
 人生に意味があるのなら生きてみよう、もし意味がないのならやめておこうという発想ではどういうことになるか・・・・ 人生に初めから意味があるかないかを問うのではなく、二度と繰り返しえない人生を意味づけて生きる道を見出すことが肝要なのです。 このことに気づかせていただくことが大事! 念仏のみ教えは、悩み深いこの人生に真の意味を与えてくださいます。

 人生は晴れの日もあり、雨の日もあり、暖かい日もあり、寒い日もあります。すなわち順縁もあれば逆縁もあります。もし、人生を外から眺めて値打ちをつけるならば、雨の日よりも晴れの日が、寒い日よりも暖かい日が、そして逆縁より順縁の方が良いに決まっています。しかし人生の意味ということになりますと、晴れた日には晴れた日の、雨の日には雨の日のよさ、ありがたさがうなずかれます。また、病気には病気の味わいがあり、別れには別れの悲しみを転じた深い人生のありがたさがうなずけることであります。

 「悪を転じて徳を成す」とはまことに深いいわれと心があり、この転じかえ成す【転成】のはたらきは知識からは生まれません。それは仏さまの智慧のはたらきです。まことの人生は念仏によって立て直されてゆくもので、どのような逆縁をも苦しみ悩みをも必ず乗り越えられてゆく道となるのです。

 『苦しみは乗り越えるためにこそある』という言葉があります。念仏はまさしく乗り越える道を歩ませていただく真のはたらきであります。
 念仏とともに歩みゆく道は泣き寝入りの人生ではなく、乗り越えて生きる無碍の一道なのであります。

                                   釋 義人

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