智慧の視点

ある写真家が撮影した霧島連山の写真を見たときのこと。
私もカメラが好きでこれまでも大好きな霧島の写真をおさめましたが、その方の作品は全くの別物。アングルも捉え方も実に素晴らしく、霧島の美しさを無限に引き出している作品でした。撮る人で、撮る視点でこんなにも違いがあるのかと学んだことでした。

さて、視点の転換!これは私たちの人生におけるさまざまな出来事についても言えるのではないでしょうか。
生きていると転んだり つまづいたり 壁にぶちあたったり・・・それはそれは、お互いにいろいろありますね。それらの出来事がいつも愚痴や嘆きだけで終わっていくのであれば、私たちがそれを受けとるときの、受け取り方に問題があるのかもしれません。

榎本栄一さんがこんな言葉を残されていらっしゃいます。

如来より たまわりし
念仏の めがね を かけると
私の うしろの
功徳の大宝海が 見えてくる

「念仏のめがねをかけると」という表現が素敵ですね。お念仏のみ教えをいただくと、まるでサングラスをかけたときのように景色がかわって見えてくる。これが如来さまの智慧をいただく、智慧の視点に立つということでありましょう。

病気になったこと、家族と別れたこと、仕事でいきづまったこと等、それ自体はもちろんしんどいことですが、それを通してあらためて考えさせていただく、『ここに何か深い意味があるのではないか』と見直していける智慧、これこそが大切であります。
このような智慧がなければ『あんなことがなければ・・・』 『こんな目に遭わなければ・・・』と、愚痴を言うだけの空しい人生になってしまいます。

智慧は如来さまのみ教えを聞くことによって養われるものであります。
智慧の心をいただき、私たちの身におこるすべての出来事は、人間を深めるための人生であったと見据えていくとき、すべてが意義あるものとして受け取れるようになるでしょう。

念仏の めがね かけてみませんか

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