こころの眼

 京都教区  圓照寺  岡本 豊伸 師

「この木なんの木 気になる木 名前も知らない木ですから…♪」
皆様 この歌を耳にされたことがあるかと思われます。そうです、これはTVで流れている日立のCMソングです。この樹は実は日本ではなく、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある「モアナルア・ガーデンパーク」にあります。名はモンキーポットといいまして、年に2回、5月と11月に花を咲かせます。ですがどんなことよりも一番の印象とは大きな樹であるということがいえると思います。高さは25M、幅は40M、幹の太さは何と7Mもあるそうです。「大地に根を伸ばし、大きな枝を広げ、色とりどりの花を咲かせて実を結ぶ」これが日立の樹に対するグループの思いだそうです。

この立派な樹、これは私達の人生にも相通ずるものがあるかと思うのです。自らの人生をすばらしい人生にする為に、社会では家族のために一生懸命になって働き、家族や友人の中では思いやりを持って接し、自分を大きな人間に成長させる為に日々努力しながら毎日を過ごします。そして時には成功の花を咲かせ、時には悲しみの花を散らします。このような経験を繰り返し繰り返しして、自分という幹を太く、確かなものにしていき、大きな樹、つまり大きな人間へと成長していこうとします。

そんな中、私達には つい見落としがちになる部分があります。人間はどうしても眼に映るものばかりを追いがちです。立派な樹、実はそこにはそれを支えるだけの立派な根があり、いつも(何も言わずに)それを支えてくれているという事実が存在するのです。私達、人間におきましてもまた然り、表面的な私だけに眼を向けると、そこにはただ単に私という存在しか感じることが出来ません。ですが見えない部分に眼を向けてみると、そこには今まで見えてこなかったことに気付けるようになってくる。
親があっての自分、またその親、そしてまた……。友の支え、口にするものすべての命。たとえば日本人はお米を主食としますが、お米の「米」の文字は「八十八」が変形して「米」という字になっています。これはお百姓さんが八十八回のお手間を掛けられて、お米が出来るということからだそうです。そのお百姓さんの一つ一つのご苦労、そしてまた、そのお百姓さんも食べていかねば生きていけません。ですのでお百姓さんが口にするものすべての命…。
このように考えていきますと、無数の命、無数のご縁に支えられながら私は生きている。生きているというよりもむしろ、生かされているといったほうが正しいのかもしれません。普段は自分の眼で見えるものばかりを追いがちでが、見えなかった部分をこころの眼を開いて見たときに、新たな自分のあり方がそこに見えてくる。自分がいかに自分以外の恵みをいただきながらしか生きていけないのか気付かされていくのです。

どうぞ皆様方もこころの眼をひらかれまして、自らに問いかけられてみてください。 私はそこにこそ「お陰さま」「ありがとう」という言葉が心から湧き出てくるのではないかと思います。
最後になりますが、これらのことは一見キレイ事かもしれません。これをキレイ事と聞き流していくのか、ワタクシ事であったと聴き、受け止めていくのか。これが仏法を聴く要となります。どうかワタクシ事と皆様の心に留まり、また皆様方の心に響くことを願います。 
                                     合掌

 (このコーナーへの原稿執筆ありがとうございました)

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