鹿児島850法要勤修

 私たち鹿児島教区の親鸞聖人ご誕生850年並びに立教開宗800年の慶讃法要が11月6日から9日まで本願寺鹿児島別院にて厳修されました。4日間8座の大法要でした。この度のご法要は、お念仏のみ教えにご縁をいただく一人ひとりが、親鸞聖人のご誕生あってこそ、そのみ教えに出遇うことができた慶びと共に、浄土真宗のみ教えが広く開かれた「立教開宗」に感謝するお祝いの法要です。正心寺からも7日に団体参拝で21名のご門徒が参拝させていただきまして、帰敬式を受式し法名をいただかれた方も半数ほどおられ、大変喜んでいらっしゃいました。

 この法要に際しまして、私は「法要式典部」に所属し、1年以上前から『どのような法要にしていくのか』『どんなお勤めをしていくのか』とういうことを部員で話し合い取り組んで参りました。何しろ本山本願寺で、この法要のために新しく制定された「新制 御本典作法」というお勤め、これは伝統的な声明と大衆唱和の両面をミックスしたお勤めで、これをマスターするのにはなかなか苦労しましたが、練習を積み重ねて本番を迎えました。これは50年前に制定された「御本典作法」の一部旋律を再導入することによって、50年前の意思を受け止め次の50年に受け継いでいくという思いも込められているそうで、やりがいのあるお勤めでありました。

 この「新制 御本典作法」のスタートは「宿縁讃」というお勤めで、これは親鸞聖人の主著「教行信証」の総序のお言葉です。その中に『たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ』と述べられています。本願の信を獲ることはたまたまだと。自分の思いや努力を超えたところに偶然たまわったというのです。そして宿縁は、私の思いや考えも及ばないほど遥か昔からの多くの人々の思いや願いが繋がってきて、今ここで本願念仏に出遇えたということ。聖人のその慶びの声が、言葉が「宿縁讃」というお勤めでした。お勤めしながら聖人のお言葉をいただきながら、この私の日々のお念仏の一声にも、はかりしれない不可思議なご縁がはたらいており、今ここに届いていることを噛みしめ味わいながらお勤めさせていただいたご法要となりました。

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