五月の風が心地良く頬にふれる今日この頃ですが、この五月は親鸞聖人の誕生月で今年で839回目の誕生日を迎えます。
その【しんらんさま】の讃歌にこんな歌詞があります。
♪ そよ風 わたる 朝の窓
働く 手のひら 合わせつつ
南無阿弥陀仏 となえれば
しんらんさまは にこやかに
私の 隣に いらっしゃる ♪
私たちがお念仏を称えると、その一人ひとりの傍に親鸞さまが微笑んでおられるのだと。 何ともあたたかい! 一声のお念仏で、親鸞さまにお会いしているかと思うと、何だか私もというか、こちらこそ にこやかになります。
いや・・・親鸞さまだけではない、ほとけさま(阿弥陀さま)にもあっています。
お念仏を称えるということは、真に阿弥陀さまにお遇いするということです。
南無の言は帰命なり 帰命は本願招喚の勅命なり
発願回向というは、如来すでに発願して衆生の行を回施したもうの心なり
【親鸞聖人 教行信証 行巻】
阿弥陀さまが声の仏さまとなって、この私を呼び覚まそうとする、
南無阿弥陀仏と称えると、それと同時にこの私の耳に南無阿弥陀仏と聞こえてきます。
私のチカラで 私のはからいで称えていると思っている このお念仏も、実は阿弥陀さまの御はからい 阿弥陀さまの呼び声 阿弥陀さまのお慈悲の深さのあらわれでしょう。
甲斐和里子さんの詩集「草かご」に こんな歌があります。
みほとけを よぶ わが声は
みほとけの 我を よびます
み声なりけり
呼び通しの阿弥陀さま、『あなたの親はここにいるよ、私にまかせてくれよ』と、気づかせよう知らしめようと働いてくださっている親さまの思いが私の元へ届いて、今度は私の口から『南無阿弥陀仏 ナモアミダブツ』お念仏が出てくださいます。甲斐さんは『わが声ながら 尊かりけり』ともおっしゃておられます。
衆生の行である「お念仏を称える」ということは、阿弥陀さまから賜った行であり、阿弥陀さまの願いのままに真に出遇っている姿でもありましょう。
“称えて気づかされる み名のはたらき”
あらためて味わう阿弥陀さまのお慈悲の深さを、五月の風が教えてくれました。