仏教用語に而二不二(ににふに)という言葉があります。かなで読むと、可愛らしいですね。
「而二不二」とは、「而二」と「不二」の二つの言葉がくっついたもので、二つであって二つでない という意味です。なんだかとっても矛盾している言葉です。
「而二(にに)」とは、一つのものを二つの面から見ることで、「不二(ふに)」とは、二つの面があっても、その本質は「一つ」である、ということです。
一枚の紙を例にとって考えてみましょう。
「紙には表と裏がある。」というのが「而二」にあたります。そして、「表と裏がそろって初めて一枚の紙になる。」と言うのが「不二」にあたります。
つまり、紙には表と裏という二つの面があり、その両方があるからこそ紙が存在しているというわけです。このような、表と裏のような、切っても切れない関係が「而二不二」です。
世の中には表ばかりのものや、裏ばかりのものはありません。また、表のないものには裏はなく、裏のないものには表はありません。裏は表があるから生まれ、表も裏があるからこそ生まれてきたのです。
わたしたちは、気付かぬうちにいろんなものを別々に分(わ)けてみていきます。そしてその方が都合良いのです。でも大切な本質を見失ってしまいます。
いのちは等しく大切なものである事はみんな知っています。ところが、蚊が飛んできたら叩いてしまうし、きれいな蝶なら叩きません。知らず知らずのうちに、いのちを自分にとって都合が良いか悪いかで分けてしまっています。悲しいことに、それが私たちの姿です。而二(にに)不二(ふに)とはそんな矛盾を抱えずにはおれない私たちに、『ばらばらじゃないよ。みんないっしょだよ。』と語りかけてくれている言葉のような気がします。
生死一如 生きるも死ぬもひとつごと。出会いは別れの始まりであり、別れはまた出会いの始まりである。別れは辛く悲しいけれど、その悲しみから学ぶ事が出来るのが人間のすばらしさではないでしょうか。
ナモアミダブツは矛盾や悲しみに出会わなくてはならない私たちに、間違いなくまたお会いすることのできるいのちを生きているんだよ。終わってゆくいのちを生きているのでなく生まれてゆくいのちを生きているんだよと呼び続けてくださるはたらきです。ナモアミダブツと手をあわせ拝むところに亡き方との出会いがある。亡き方はほとけさまとなって拝む私たちの姿を よろこび ほめ たたえて いてくださいます。
安芸教区 紫花 大慈 師
(このコーナーへのご執筆ありがとうございました)