私たちは知らず知らずの間に自分と他人を比較して、心を暗くしてはいないだろうか。比べなければ自分は自分なりに恵まれた状況にあるし、一生懸命やってもいると思えるのに、あの人この人と比べだすと、あれやこれや不平や不満が生じてきて、イライラが募り落ち着かなくなってくる。また、仕事に取り組んでいても、不満が日々少なからず生じてきて憂鬱になる。そして、それについつい囚われて、愚痴を言うことばかりに終始していると、さらに気分が落ち込んで、やがては何をする気も起こらなくなってくる。およそ何事でも自分の思い通りに物事が運ぶということは、そうそうあるものではない。やむを得ない人情の一面だともいえる。
しかし、せっかくの自分の人生が、いかにもったいないことか。何億の人がいようと自分は自分、たとえ人に誇るようなものではなくとも、自分には自分なりの生き方があり、生き甲斐があるはずである。比べることから刺激を得て、進歩向上を目指すのもいい。けれども、比べようのない自分をよく見つめて、惑わず自分の道をしっかり歩むということが、これにまして大切でもある。
人間には喜びもあり、悲しみもあり、楽しみ、苦しみもある。種々さまざまな心の動きが織り出されてゆく人間生活という大きな織物は、人間でなくては見られない大切な織物である。いかなる苦痛も悩みも悲しみも、自分を襲ってくる一切のものをどう受けるのか、どう取り扱うのか、というこの私の姿勢や態度によって人生という大きな織物は、尊いものともなり、つまらないものにもなってくる。
つまり、心の内と身体の外と、内外に起伏して波動する一切のものをあげて、それを素材として自分の人生を磨き上げ、成長せしめることが出来るのである。
自分の歩むべき道、あらためて生かしたいものである。
正心寺前住職釋義人師17回忌(令和5年1月25日)にあたり、「テレフォン法話集」より法話を紹介しました。